802.11ah推進協議会
会長 小林 忠男
今回は、802.11ahの特徴と技術、使用周波数、そして他方式との比較について説明します。
毎日の生活になくてはならない情報通信インフラになった無線LAN、その「世界唯一のデファクトスタンダード」である2.4GHz及び5GHz帯のWi-Fiシステムの特徴は、以下の通りです。
(1)使用する周波数は、モバイルのように特定の免許人だけが使うことのできる占有ではなく、アンライセンスのために誰もが自由に使うことが出来ます。 電波法的には保護されませんが、アンライセンスのため誰もが自由にアクセスポイントや端末を開発・設置することが可能です。このことは誰もが容易に多様なWi-Fiサービスや商品を提供出来るということになります。
(2)アクセスポイントと端末は自律分散制御のため、同一エリアに複数のWi-Fiシステムが共存することが可能となります。 周波数の使用効率は低くなりますが、一つのエリアを特定の人が占有することなく、多くの人がプライベートのワイヤレスネットワークを構築することが出来ます。公衆サービスではないため特定の誰かに依存する必要がない自由度があります。 最近話題になるプライベートLTEやローカル5Gは、こうした自営ネットワークの流れにあるもので、ワイヤレスシステムを自由に設計・運用したいというニーズに応えるものといえます。 ワイヤレスの適用範囲がこれまで以上に拡大し多様化しつつあるため新たな市場創出が見えており、それはキャリアの提供するものに加えてとてつもなく大きいと誰もが直感的に確信しているといえるでしょう。 様々なプレーヤーにも大きなチャンスがあるため、Wi-Fiに加えてプライベートLTE、ローカル5Gの流れはますます加速するのではないかと思います。
(3)図表-1に示すように、端末とアクセスポイント、及びアクセスポイントとインターネットの間はIPプロトコルで設計されており、全てオープンになっています。
(4)従って、図表-2に示すように、IPプロトコルさえ分かれば、端末、アクセスポイント、クラウドまでエンドエンドで、ユーザーが自由にネットワーク構築し運用することが出来ます。 家やオフィスや病院や工場等の屋内や、駅、スタジアム等の屋外においても誰もが自営で設置、運用することが可能となります。
802.11ahは、こうしたWi-Fiシステムの特徴を維持しつつ、802.11ahならではの、次のような特徴を有しています。
(1)920MHz帯という1GHz以下の周波数を用いることにより、100m程度の従来のWi-Fiエリアを数百mから1kMまでカバレッジを拡大します。 これまでのWi-Fiでは出来なかった広いエリアをカバーするとともに、これから到来するIoT時代の端末/デバイスを低消費電力で長時間カバーすることが可能になります
(2)伝送速度として100kbpsから数Mbps以上を実現するので、既存のLPWAシステムでは難しい動画伝送も可能にします。IoT用途のセンサーを多数収容することが可能で、しかも低消費電力です。
(3)802.11acのクロックを10分の1にすることにより、これまでのWi-Fiのノウハウを活用し、開発期間の短縮とコストダウンを実現します
(4)すでに確立されているWi-FiシステムのセキュリティWPA2、WPA3を継承し、簡便さと安全性を実現します
このように、802.11ahはこれまでのWi-Fiの特徴と、920MHz帯を使う新たなWi-Fiファミリーのシステムとしての特徴を合わせ持つ、IoTに最適なワイヤレスシステムです。 Wi-Fiは現時点では世界唯一の無線LANのデファクトスタンダードです。
前回述べたように、2017年にはWi-Fiの通信チップ(LSI)の出荷数が36億個に達し、2015年から19年までの5年間の累計出荷数は180億個に達すると予測されています。2021年の出荷数は40億になると予想されています。 これらのチップの中にファミリーとしてahのチップも組み込まれるようになれば短期間に大量のahが既存のWi-Fi商品と一緒に世の中に出回ることも夢ではありません。
現時点ではahを商品化するベンダーは多くありませんが大きな流れが来ていることは次回に説明します。
次に、802.11ahの技術について説明します。 802.11ahの規格は、2010年10月に、無線LANの標準化を推進するIEEE802.11WG内に設立された作業グループ「TGah」(作業グループah)で標準化が開始され、2016年12月に標準化が完了しました。
図表-3に802.11ahの技術仕様を示します。
1 802.11ahの物理層
(1)2.4GHz、5GHz帯のWi-Fiに比較すると高速ではないが、既存のLoRaやSIGFOX、Wi-SUNに比べるとより高速で画像伝送も可能とするのは、 変調方式としてOFDMを採用し、帯域幅1MHzで150kbpsから4Mbps以上を可能にします
(2)920MHz帯の伝搬特性を活かし、1MHz帯域で最大通信距離は1km以上を実現します
(3)既に実用化され現在のWi-Fiのメインストリームになっている802.11acの動作周波数を10分の1にクロックダウンすることにより、802.11acで開発された信号生成回路をほとんどそのまま活用できるようにしています。 これによりチップの開発期間の短縮とコストダウンが可能になると期待されます。 802.11ahは、802.11ac規格のダウンクロッキングを基に、物理層及びMAC層の電力節減、対応可能基地局数の増大、カバレッジエリアの拡大、移動受信性の改善などの面で強化しました。
2 802.11ahのMAC層
図表-3に示すように、アクセス制御には、現在のWi-Fiと同様のCAMA/CA方式が採用され、自律分散制御を実現しています。 アクセスポイント当りの端末収容数は、従来の約2000に対して、最大8、191(センサー、ウェアラブル等の端末)と大幅に増加しています。 省電力化のために以下の機能を追加しています。
(1)802.11ahは920MHz帯という2.4/5GHz帯のWi-Fiでは難しい最大1kmの通信距離を実現しているため、一つのエリアの中に8000以上の多数のセンサー等のIoTデバイスが存在することになり、さらにこれらの端末・デバイスは低速のものになると考えられる。これらを効率的に処理するために、802.11ahでは、802.11ahならではのMAC層の機能追加を行っています。 以下に主要な機能を説明します。
(2)NDP Ackの追加
アクセスポイントは正常にデータを受信すると、受信し終わったところで端末に向けてAck(Acknowledge)を送出するが、802.11ahでは従来の標準Ackに加えて新規に、 NDP Ack(Null Data Packet Ack、パケットデータを持たないAck)を追加しました。 このNDP Ackは、送受信するフレーム(パケット)の内容を示すヘッダだけで確認を行うために送受信するデータ分だけフレームの長さを短くすることが出来ます。 そのため、送信動作時間と受信動作時間とも短縮化され低消費電力化を可能にすることが出来ます。
(3)S1Gビーコン送信 S1G:Sub 1Giga)
無線LAN では、ビーコンを定期的にアクセスポイン ト (AP) が送信して、APと全端末間の通信を制御しますが、低消費電力化と送信機会の向上のために S1Gビーコンと呼ぶ「短縮ビーコン」が新たに規定されました。 必要最低限の情報を保持するS1Gビーコンを主に利用し、多くの情報を運 ぶ標準ビーコンはS1G ビーコンの整数倍間隔で送信することにより低消費電力化と送信機会の向上を図っています。
(4) 間欠通信方式
IoT/M2M応用ではバッテリ駆動で間欠動作することにより長時間動作が可能になります。通信予定時のみ起動してAPと通信する動作が適し、これは消費電力と共に、周波数利用面でも効率的です。 このために、TWT (Target Wake Time)という従来と異なるMAC機能が追加されました。
(5)新規プロトコルバージョン
これまでの無線LAN規格では、相互の互換性を保つため、基本的に共通したフレーム構成となっており、すべて「プロトコルバージョン0」のMACフレームを使用してきました。 しかし、802.11ahでは、サブギガ帯で動作するため従来の規格と互換性の必要がないことや、802.11ah特有の短縮したMACフレームなどが新たに追加されています。 そのため、使用環境において、その両者(従来の無線LAN MACフレームと802.11ah MACフレーム)の違いを明確にするため、初めて「プロトコルバージョン1」のMACフレームが追加され、体系化されました。
(6)リレー機能
工場等ではセンサの設置値によって、構造物などでAP との伝搬チャネルが遮断される場合も多くあります。 920MHz帯の利用は障害物に対してある程度の耐性を持ちますが、リレー機能もオプション規格として規定しました。 通常2ホップで、リ レー中継器メモリのオーバーフロー回避のためのフロー制御機能や、中継通信の機会確保機能(TXOP Sharing) を規定しました。 リレー中継器がルートAPとセンサ双方と一括した仮想キャリアセンスで通信の保護が可能です。 これによりリレーでのフレーム衝突確率も低減できます。
次に、802.11ah規格で使用される周波数帯について説明します。
図表‐4に世界各地域の802.11ah向け周波数帯の割り当て状況を示します。
これから分かるように、多くの国が802.11ah向けの周波数帯を指定し、802.11ahに対応する最大帯域幅を定めています。 チャンネルボンディング(チャンネル結合)により得られる最大チャンネル帯域幅は各国ごとに定められており、同じではありません。
米国では902MHzから928MHzの26MHzの周波数帯が割り当てられ、最大帯域幅は16MHzです。
中国では755MHzから787MHzの32MHzの周波数帯が割り当てられ、最大帯域幅は8MHzです。
韓国では917。5MHzから923.5MHzが6MHzの周波数帯が配分され、最大帯域幅は4MHzです。
シンガポールでは866MHzから869MHzと920MHzから925MHzの2周波数帯が配分され、最大帯域幅は4MHz、トータルとして8MHzになっています。
日本では916.5MHzから927.5MHzの11MHzの周波数帯が候補になります。ただし利用可能になった場合でも、チャンネルは幅1MHzで11チャンネルの使用が可能となっています。
米国や中国に比べて帯域幅が少なく、1チャネルの帯域幅も現在は1MHzだけで802.11ahの特長を活かした高速伝送に制限があります。
802.11ahの伝送速度は変調方式とチャネル帯域幅により変化します。 図表-5は、802.11ahの物理層におけるMCS(Modulation and Coding Scheme、変調・符号化方式)と伝送速度の例を示したものである。
802.11ahでは、変調方式としてOFDMが採用されていますが、OFDMを構成している各サブキャリアには、BPSK、QPSK、16/64/256QAMの変調方式が採用されています。
日本は現時点では1チャネル当たりで使用できるチャネル帯域幅は、最大1MHz幅のみと制限されているため、図表-5からチャネル帯域1MHz幅のOFDM変調の場合(日本の場合)、
1.各サブキャリアにBPSK変調を適用した場合は最小の伝送速度「150kbps」
2.各サブキャリアに256QAMを適用した場合、最大の伝送速度「4Mbps」になります。
「日本は米国や中国に比べて帯域幅が少なく、1チャネルの帯域幅も現在は1MHzだけで802.11ahの特長を活かした高速伝送に制限があります」と書きましたが、周波数帯域拡大の動きが図表‐6に示すようにあります。
総務省の2018年12月17のパブコメ、「デジタルMCAシステムの高度化に係る制度整備等」の中に、 「高度化システムの導入により、利用者の利便性の向上が図られるとともに、 周波数の利用効率が高まります。総務省としては、高度化システムへの移行により生じる周波数を、 将来IoTなどの新たなサービスに活用すべく、別途、新たな無線システムの技術的条件等について検討する予定です」とあります。
802.11ah推進協議会(AHPC)として、現行のMCAで使用している周波数帯を802.11ahで使えるように取り組んでいきたいと考えています。
IoT用のワイヤレスシステムには既に実用化されているLoRa、Sigfox、Wi-SUNなどがあります。
既に実用に供されているシステムと商用化に向けて検討されているIoT用のワイヤレスシステムについての各方式の位置づけを図表-7に示します。
LPWA(Low Power Wireless Access)は、低い電力でセンサーや様々な端末をネットワークに収容するワイヤレスシステムです。 低消費電力で長時間動作させるためには伝送する情報量を低くする必要があり、映像を送ることは基本的には困難です。
モバイルもWi-Fiもそうですが、ひとつのワイヤレスシステムで全ての需要を満足することは不可能で、目的や用途によって最適なシステムを採用することが重要です。
図表-8はIoTに利用される様々なワイヤレスシステムについての位置付けを整理したものです。
図表-9は同じ920MHz帯を共用するLoRa,Sigfox,Wi-SUNと802.11ahについての詳しい比較表です。 802.11ahはOFDM、MIMO、多値QAMを使用する、周波数使用効率がの高い映像まで伝送可能なワイヤレスアクセスが可能なシステムです。
現状では日本は1MHz帯域のみしか使えませんが、従来のWi-Fiより遠くに飛ぶので、既存のLPWAよりは高速伝送が可能となり、またSigfoxやNB-IoTのように公衆サービスではなくプライベートで使うことが出来ます。
Wi-SUNと比較しても、Wi-Fiファミリーの一員として世界中に多くのユーザーがいるデファクトスタンダードになっています。
次回詳しく説明しますが、802.11acやaxと802.11ahは家の中でどのような位置付けになるのかという議論があります。
一つは、802.11acやaxではカバーできないエリアにあるIoTデバイス、例えば屋外の駐車場に設置する監視カメラやセンサーを家の中のWi-Fiアクセスポイントに収容することが可能になります。 現在は2台目のアクセスポイントを設置したり、中継したりして対応することになりますがそれが不要になります。
二つ目は、家の中にこれから、防災や火災検知等の様々なセンサー、温湿度センサー、機器の監視制御モジュール等の様々なデバイスが設置されることになるのは間違いありません。 現在のWi-Fiでは消費電力の問題があり長期間の動作に問題がありますが、802.11ahは既に述べたように低消費電力での長期間動作が可能な仕様が定められています。
802.11ahの実用化と共に、2.4/5GHzと920MHz帯のWi-Fiチップを搭載したトライバンドのアクセスポイントが登場すると思います。 屋内外のIoT化はさらに現実的なものになるでしょう。
参考文献
(注1)島田修作氏
① Wi-Biz第1回Wi-Fi新活用領域研究会 「Sub1GHz帯 Wi-Fi IEEE802.11ahの特徴と技術」2015年6月22日
② IoT/M2Mを支える新無線LAN規格-IEEE802.11ah-
(注2)インプレスSmartGridニュースレター2016年12月13日
M2M/IoT時代に対応するWi-Fiファミリーの新規格「IEEE802.11ah」(Wi-Fi Halow)標準とそのユースケース