IoTにおけるWi-Fiの役割と802.11ah
第3回 802.11ahのユースケース

802.11ah推進協議会
会長 小林 忠男


今回は、802.11ahのユースケースについて書きます。


  • 1.サービスの代替と補完について

先日、毎週土曜日に別刷りで発行される日経新聞の「NIKKEIプラス1(7月27日)」の一面に、20世紀と21世紀の「これが暮らしを変えた」という記事が出ていました。20世紀の2位は、 「携帯電話・PHS・ポケベル」、21世紀の1位は、「高速ネット通信 光回線やWi-Fi、3G、4Gなど」となっていました(図表-1)。 記事にもあるように、携帯電話、スマートフォンそして高速ネットは私たちの毎日の生活の必需品になりました。

私は、1990年代はPHSの開発・事業化に、2000年代はWi-Fiビジネスに携わってきましたので、 PHSとWi-Fiの両方に携わった人間としてこの記事を読んでとても嬉しく、そして、若干のほろ苦さを感じました。 802.11ahのユースケースを考えるに当たり、PHS・ポケベルとWi-Fiビジネスの今について考えるのは意味のあることだと思います。


図表-1

最初に携わったPHSについてです。

ポケベルは1986年頃から急速に普及し、1996年にピークに達し契約者数は1000万人を超えました。しかし、その後の携帯電話やPHSの普及に押されて2007年にサービスは終了しました。 PHSは「簡易型携帯電話」として1995年7月にサービスが開始され、2年後の1997年には契約者数が700万を超え従来の通信サービスにはないスピードで加入者が増えました。 しかし、その後は携帯電話サービスに押され、スタート時に3社あったPHS事業者は現在ソフトバンク1社になってしまいました。そのソフトバンクのPHSサービスも2020年には終了するとのことです。

20世紀の第2位にランクされた「携帯電話・PHS・ポケベル」で今も生き残っているのは携帯電話だけになってしまいました。 次に携わったWi-Fiについてです。今も携わっています。

Wi-Fiの事業を始めた頃、色々な方から、「3Gや4Gサービスが本格的になればWi-FiもPHSのようになくなってしまうのではないか。Wi-Fiの進化版であるWiMAXもあるし」と言われました。 更に、4Gは光回線より高速になるので、「NTT東西の光回線もワイヤレスに取って代わられてしまうのではないか」本気で心配する方が大勢いらっしゃいました。 しかし、現実は、5Gの時代が到来する今になっても、光とWi-Fiはネット時代の必須の媒体、サービスであり、その必要性、存在感は減るどころか逆に増しつつあります。 インターネット接続のワイヤレス回線のデータ量は、世界中でWi-Fiのほうが3G・4Gよりはるかに多く、また光回線がなければWi-Fiのアクセスポイントも5Gの基地局もインターネットに接続することが出来ません。

どうしてPHSは衰退し、Wi-Fiは成長し続けているのでしょうか。

私は専門的なことを十分理解しているわけではありませんが、これまで色々なサービス、システムの開発や事業化を経験してきた中で、サービス・商品やシステムが普及するかどうか、 成功するかどうかを考えると、「代替(代用)」と「補完」の関係が重要だと考えるようになりました。

「代替(代用)」とは、二つの商品・サービスAとBがあった時に、Aの料金が高くなりBの料金が変わらなければ、Bの売上げは増えることになります。このような関係にあるAとBは「代替」の関係にあります。二つの商品、サービスがライバル関係にあり、一方が大きく優位な立場になれば一方は市場から退出せざるを得ない関係です。 最も、どんなに値上がりしてもAを買うという人も世の中にいますので、その人にとっては代替ではないかもしれませんが。図表-2の1に代替の例を示します。

「補完」は、車とガソリンのようにAとBが相互に補完することで、ユーザーに完全なサービス・商品を提供する関係になります。図表-2の2に補完の例を示します。


図表-2の1   図表-2の2

本題に戻って、携帯電話とPHS・ポケベルは代替の関係にあり、光、Wi-Fiと3G・4Gは補完の関係にあるために今の状況になったと考えられます。 すなわち、ポケベルの出来ることは携帯電話で出来、しかも双方向通話というポケベルの出来ないことまでも出来てしまいます。

PHSも最初は料金、品質、端末の小型化で携帯電話に勝っていましたが、直ぐにキャッチアップされ、しかもPHSには不感エリアがあり、サービスエリアについて携帯電話は圧倒的にPHSを上回っていました。 料金や端末の大きさが変わらなくなってしまえば、勝負は見えています。 PHSと携帯電話サービスにお客様が求めることは、ワイヤレスで双方向の通話を「何処でも誰とでも何時でも」したいということです。 これが満たされるならば多くのお客様にとって、携帯電話でもPHSでもどちらでもよいのです。同じ土俵でのガチンコ勝負になれば、実力のある方が勝つことになります。

先に書きましたように、Wi-Fiも導入当初は、3G・4GやWiMAXが本格的に導入されればWi-Fiはなくなってしまうだろうと考えられていました。 しかし、携帯電話の普及により通信のパーソナル化・ワイヤレス化が進むとともに、世の中はYouTubeやSNSの拡大に合わせて通信のブロードバンド化が急速に進みました。 携帯電話では対応しきれないワイヤレス需要が出現し、Wi-Fiだけがそのスピードに対応可能でしかも基本的に料金はフリーでした。しかも、Wi-Fiの電波はアンライセンスで誰もが使え、 世界中で唯一のワイヤレスのデファクトスタンダードでしたので、その価値を認めた人たちにより草の根的に、携帯電話とは全く違うビジネスモデルで世界中に普及拡大しました。

要するに、Wi-Fiは3Gや4Gの携帯電話とは違う土俵でお客様の要望を満たし成長してきました。 今では誰もが使うスマートフォンの中には、3G・4Gそしてこれからは5GのチップとWi-Fiのチップがデフォルトで搭載されています。 即ち、屋外や電車の中では携帯電話を、家や会社やカフェやテレワークではWi-Fiをうまく使い分けています。 どちらか一方があれば大丈夫ということではなく両者は補完しあって快適なインターネット接続をお客様に提供する状況になっています。

携帯とPHSとWi-Fiの関係を図表-3に示します。


図表-3

  • 2.11ahとLPWAの比較について

 前置きが長くなりましたが、今日の主題である「802.11ah」のユースケースを考える時に、802.11ahが現在の802.11n、ac、axのWi-Fiと、さらにLoRa、SIGFOX、NB-IoT、Wi-SUN等のLPWAと、どのような関係にあるのか、即ち「代替」になるのか「補完」になるのかを考えてみたいと思います。 Wi-FiもLPWAも5Gも全てのワイヤレスシステムの開発は、その用途・目的に応じて以下の要素をどうようにするかを決め、それに合った技術仕様を策定し実現します。

① 伝送速度=情報量

② 伝送距離=エリアカバレッジ=使用する周波数帯

③ システム構築の容易さ オープン性=デファクトスタンダード・IPベース・端末の登録削除

④ セキュリティ

⑤ 接続時間=消費電力

⑥ 電波割当 特定のキャリアが占有するライセンスか誰もがプライベートネットワークを構築出来るアンライセンスか

⑦ 市場規模 需要・料金

以上の要素に対して802.11ahは従来のWi-Fiの特長を継承しつつ幅広い分野に適用可能な様にIEEE802.11とWi-Fi Allianceで標準化されました。 次のような特徴を持ちます。

① 150kbps~数Mbps以上の伝送速度が提供可能で、各種センサーからカメラ映像までの情報をやり取りすることが出来ます

② 数100mから1kMの屋外エリアカバレッジ

③ 年間出荷量が30億にもなるWi-Fiファミリーでアンライセンスかつ世界唯一のデファクトスタンダード

④ Wi-Fiの高いセキュリティ、WPA3にも対応

⑤ ワイヤレスの専門家でなくとも使えるIPベースでネットワーク構築可能が可能

⑥ コンシューマ市場にも多様な産業市場(非コンシューマ市場)にも適用可能

情報量とエリアカバレッジが図表-4に示すような関係になる時は、802.11ahは、これまでにはないユニークなIoT用のワイヤレスアクセスシステムとなり、 今あるWi-Fi、LPWAとはそれぞれの領域が重ならないので補完関係にあると言えるでしょう。


図表-4

802.11ahは少ない情報量にも対応可能な仕様になっています。現在私たちの家にあるWi-Fi端末、デバイスは電池駆動のものは殆どありませんが、802.11ahは間欠受信により数年近くも動作する電池駆動も可能になっています。 その場合は、図表-5に示す関係になり802.11ahとLPWAは代替の関係になるかもしれません。 ただし、LPWAは802.11ahに先行して世界中で商用化されており、低消費電力、低コストで多くの市場で使われていますので補完関係が続くとも考えられます。


図表-5

802.11ahとキャリア型ビジネスモデルのNB-IoTとの関係はどうなるでしょうか。

802.11ahは誰でも使えるアンライセンスの電波を使うために家庭用からIoTまで自由にプライベートなネットワークを構築することが可能です。

NB-IoTは限られた人だけが占有的に使える電波を使うパブリックネットワークになります。

NB-IoTはモバイルキャリアが全国どこでも使えるようにネットワーク構築を行っており、キャリアと契約すれば一定の品質のサービスを全国どこでも使うことが出来るようになるでしょう。

802.11ahとNB-IoTは補完的に使われていくことになるでしょう。


  • 3. 4つのユースケースについて

次に、802.11ahのユースケースをもう少し具体的に、以下の4つの分野で考えてみましょう。

(ア) ホームユース(コンシューマ)応用

① カバレッジの拡大
 1. ガレージ・庭・裏庭・地下室の監視制御

② 電池駆動センサーの端末、ガジェットの実現
 1. 煙・開閉・防災・光センサー等

③ 超低消費電力
 1. 数年間の電池寿命
 2. 長時間スリープ

④ IPベース、IP接続容易性
 1. 今あるWi-Fiに簡単にアドオン可能

ホームユースの活用例を図表-6に示します。


図表-6

(イ) これから本格的に始まるIoT分野への適用

① センサー・データ収集

② 今までにない簡単で多様な監視制御

③ 作業者への支援
 1. AR・VRによる作業支援、効率化

④ 生産性の向上
 1. 農業分野における鳥獣被害対策(図表-7、図表-8)
 2. イチゴやトマトハウスの育成状況のチェックと収穫
 3. 牧畜・漁業分野

(ウ) 産業(非コンシューマ)分野への応用

① 警備・セキュリティ

② 製造・オートメーション
 1. 工場

工場におけるユースケースを図表-9に示します。


図表-9

③ 学校・病院

学校におけるユースケースを図表-10に示します。


図表-10

④ 社会インフラ・センサー・バックホール

⑤ オフィス

(エ) 防災分野

① 中継による00000JAPAN

「00000JAPAN」等、災害時のサービスエリアの拡大について図表-11に示します。


図表-11

以上のユースケースは、これまでも既存の技術方式により実現可能でしたが、802.11ahの登場により今まで以上に簡単に実現することが可能になると期待されます。

ah推進協議会のホームページに具体的な詳しいユースケースが多数掲載されていますので是非参考にして下さい。


  • 4.新たなワイヤレス市場の創造について

現在は存在しない全く新しいユニークな魅⼒的な商品、サービスが開発されたとしたら、これには先に述べた「代替」品がないので、リーズナブルな価格で提供されれば、 ⼤きな市場を創出し、その開発者、企業は⼤きな先⾏者利益を得ることが出来ます。

しかし、多くの場合は既に類似のサービス、商品が存在しそれらとの競争の中で⽣き残らなければならないか、 または補完的なサービス、商品として共に成⻑する⽅法を見つけて行かなければなりません。 自分たちの開発するサービス,商品が市場の中でどんな位置付けにあるか, 「代替」と「補完」の関係にあるものを正しく見極め,どの様な仕様にするかは極めて重要だと思います。

ワイヤレスを使うシステムは、やり取りできる情報量やエリアカバレッジは使う周波数に⼤きく依存します。 基本的には、⾼い周波数を使うと多くの情報量を送れますが電波は遠くまで⾶びません。周波数が低くなると電波は遠くまで⾶びますが多くの情報を送ることは出来ません。 従って、ユニークなシステムで全ての要求を満⾜しようとすることは極めて困難なことであり、実現できたとしてもそのシステムは極めて重いシステムになってしまうと思われます。 ⽬的と⽤途に応じて、最適なシステムを組み合わせてシームレスで使い易い、安全なワイヤレス環境を構築することがこれからのワイヤレス新時代において重要だと思います。

幸いなことに、半導体やソフト、更にはAIの劇的な技術⾰新により、⼀つのチップの中に様々なワイヤレス の機能を搭載し、それをソフトで⾃由に制御、 選択することが技術的には可能な時代になりました。 3G・4G、Wi-Fi、LPWAというワイヤレス分野がそれぞれのシステムを進化させつつ、 現在のそれぞれの間 にある壁を払拭して更なる融合を⽬指すことがお客様の満⾜と新たなワイヤレス市場の創出に必要なことで はないでしょうか。

第1回 IoT時代の到来と802.11ah

第2回 802.11ahのシステム概要と特徴

第4回 802.11ahと他システムとの共存及び今後の展開